異例-セイコーのムーブメント型番ルール破り
こんにちは。本題の前に少し豆知識を。セイコーのムーブメントの型番の四桁は上二桁がムーブメントのシリーズ、下二桁がバリエーションになります。
かつては四桁全てが数字でしたが、1980年前後に改訂されて「二桁目が英字、それ以外は数字」になりました。
そのうち一桁目が1~3はレディス用小型ムーブメント、4は共用小型薄型機、5~8がメンズ用でそのうち5と7はセイコーエプソン製、6と8はセイコーインスツル製を表しています。そして「9」はグランドセイコー専用、と言うのが基本ルールです。
しかし一機種だけグランドセイコーに積まれていないにもかかわらず「9」を冠することを許されたムーブメントがかつて存在しました。キネティッククロノグラフ「9T82」です。

セイコー アークチュラSLQ003
9T82の誕生
異端の「9」、グランドセイコークォーツ用9F系ムーブメントと同じ「9」を冠するクォーツムーブメントは1998年にバーゼルフェアで発表されました。当時のセイコーエプソンの時計技術の粋を集め、一切の躊躇なく9Fと同じ機構を使用するフラッグシップとして設計された怪物です。
9Fの特徴である「3軸独立ガイド」と「瞬間日送り機構」と「バックラッシュオートアジャスト」が採用されました。細かいところでは正確な時間あわせのために竜頭を一回転させたときの分針の送り量(約20~25分)と言う部分もGSと同じです。
クロノグラフ機構もコラムホイールを使用し、ハートカムによる瞬間リセット機構を搭載しています。カムリセット式のクォーツクロノグラフは数社が出していますが、この形式は消費電力量が大きくなり電池への負荷が大きいと言う難点を抱えています。
そのため一次電池(充電出来ない通常の電池)でこの機構を採用したのはジャガールクルトとIWCが共同開発した「メカクォーツ」とフレデリック・ピゲのCal.1270です。
セイコーはこの電池寿命の問題を自動巻発電機構キネティックの採用で解決しようとしました。
発電機構との組み合わせで消費電力の大きい機構を搭載可能にする、と言う考え方はシチズンが2004年に光発電機構エコ・ドライブを採用したカムリセット式クロノグラフE210系を発表している事と合わせて考えるとほぼ正解に近い考え方であったと思われます。

シチズン E210系エコドライブクロノグラフ
また、ETA社もCal.206.211と言う自動巻発電クォーツクロノグラフを出しています。ペースムーブメントに機械式クロノグラフモジュールを搭載した構造のため、高コストだったためか採用例はエルメスNOMADの一例のみとなっています。
シースルーバックからの眺め
9T82は「9F」と「キネティック」と「機械式クロノグラフ」の技術要素を融合させた非常に複雑な設計のため、パーツ総数が340にも及びます。これは自動巻機械式クロノグラフとほぼ同じです。
残念ながらシースルーバックからは自動巻ローターと受け板しか見えず、コラムホイールも見ることが出来ません。見応えが有るとは言いがたい眺めですが、1モデル以外は全モデルシースルーバックです。

シースルーバックからの眺め
ガラスが皮膚に張り付く感覚を避けた着用感重視で非シースルーバックをメインにしても良かったのではと思います。
操作感など
さて、肝心のクロノグラフボタンの押し心地ですが、コラムホイール=柔らかく繊細な押し心地という期待をしていると違和感を覚えます。
端的に言うと押し心地は重く、いわゆるカム式クロノグラフに近い押し心地です。
と言うのも、カム式とコラムホイールの押し心地の差は機構による差異と捕らえられがちですが、実際のところはメーカー側の設計思想による押し心地の設定の差異と言った方が正しいのです。
設計上はコラムホイールでも固い操作感に出来ますし、カム式でも軽い押し心地にすることが可能です。言い換えれば9T82は敢えて重くしているのです。
恐らくクロノグラフ機構の消費電力量が大きいため誤動作防止の意味合いが大きいと思われます。9T82のクロノグラフ動作時の消費電力は停止時の11倍にも達する事を考えれば納得できるかと思います。

ボタンは大きいが堅いため誤作動はしにくい
まとめ
残念ながら廃盤となって久しいですが、当時のセイコーエプソンの技術の粋を集めた高級機はクォーツクロノグラフの中で特筆すべき個性を持っている機体だと思います。
ですがあまりにもムーブメントにコストがかかりすぎたため、ケースやブレスレットの造りが少々犠牲になったモデルが多いのもまた事実です。
セイコーはこの反省を生かし、手の込んだムーブメントに手の込んだ外装を用意するようになりました。スプリングドライブクロノグラフです。

GSスプリングドライブクロノグラフ
実は9T82とスプリングドライブクロノグラフの設計者は同じ方です。時期的にもスプリングドライブクロノグラフ登場と時を同じくして9T82が廃盤となっており、エプソン製クロノグラフのフラッグシップが異端の「9」からGSの「9」へと引き継がれたと言えるでしょう。