ここ数年間、IWCに勢いを感じます。
僕が時計に興味を持ち出し約20数年、初めてこのブランドを知った時、他のスイスブランドの時計とは少し趣が異なる印象を持っていました。
その理由と魅力を僕目線と2009年の雑誌クロノス日本版に掲載されていたIWC関係者のインタビュー記事を引用して、迫ります。
全てはシャフハウゼンから生まれる
このブランドを語る時真っ先に出てくる地名、「シャフハウゼン」スイス北東部に位置するこの州都の言語はドイツ語圏です。
どことなくドイツの雰囲気があるこのブランド、他の時計ブランドとは少し異なる場所に社屋を構えています。
スイス時計の中心部は大都市ジュネーヴを持つレマン湖周辺のいわゆる【フランス語圏】や【ジュウ渓谷】です。シャフハウゼンは距離にして約290キロ、車で約3時間半の地です。当時のジュネーヴ時計に関わる人達はこのIWCの設立を懐疑的に見ていたそうです。しかし、この離れた土地こそ、スイス時計らしさをあまり感じさせない、理由になっている気がします。
IWCは創業時のアメリカ人時計師フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズが付けたInternational watch companyの頭文字3文字を取り現在のブランド名になっています。
彼はこの地にある、優秀な時計職人達とライン川の水流を駆動力として利用できることで「シャウハウゼン」を選んだのです。
そしてグローバル企業になってもIWCはこの創業の地を離れない。
現在ここにアッセンブル、リペアといった全ての【マニュファクチュアルー部門】と【ヘッドクオーター】は一貫してこの地にあるのです。
「ヨーロッパ最大の滝」である「ラインの滝」、この場所から上流にIWCは工場と本社を構えています。
ヨーロッパらしい古い町並みが残る、この地は時計づくりにはぴったりの街なのでしょう。
しかし、約150年に渡りこの地からファインウォッチをつくり続けてきたIWCも全てが順調だった訳ではありません。
天国から地獄、1973年から1974年
1973年に約5万4000本のセールスを記録して絶頂期にいたIWCに翌年危機が訪れます。そうクオーツショック+スイスフラン高騰による破滅的危機です。かつて同社で販売担当副社長であった、アンネ・A・パントリ氏は雑誌クロノスの2009年のインタビューで、従業員の解雇と在庫の処分で世界中を駆け巡ったと語っています。
しかし負の連鎖は止まらず、1974年以降も危機は続いた。最悪従業員を25人まで減らして懐中時計に専念するアイディアもあったそうです。
そんな矢先にポルシェデザインとの連携を開始、また78年にはドイツ計器メーカーの【VDOシェアリング】が資本参加、危機は収束に向かいました。
1985年のダ・ヴィンチの成功
経営危機を乗り越えたIWCはポルシェデザイン銘のチタン製のクロノグラフが1980年代初頭に売れて業績も回復傾向になってきました。
しかし、アンネ・A・パトリ氏は前述のクロノスの取材で、そのチタンクロノグラフは「80年代初頭に機械式クロノグラフのエボーシュ(半完成品)が余っていたため」作ったと語っています。
つまり、部品の処分も兼ねた、少し消極的な製作だった事が伺えました。
それが理由でしょう、パトリ氏はIWCが本格的に復活したのは1985年の【ダ・ヴィンチ】のヒット以降と述べています。
上の写真は現行モデル【ダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー・クロノグラフ】、IW392101です。クロノグラフに永久カレンダーを組み込んだモデルで、スポーツモデルの要素を含んだコンプリケーションウォッチです。1985年のモデルとの違いはムーンフェイズが違うくらいです。
天才芸術家の名前を冠したダ・ヴィンチは当初、上の写真向かって左下、トノー型(6角形)のケースの時計でした。クオーツムーブメントを搭載しており、現行モデルから程遠い外観でした。
しかしこのダ・ヴィンチモデルのコンセプトは新しい物への挑戦、【発明家精神にインスパイア】されたモデルです。この頃は革新的であったクオーツを組み込むことで、天才発明家の考えを重ねていたのでしょう。
そして1985年に時計の外観を180度転換します。斬新だったトノー型からケースを伝統的な丸型デザインに回帰します。これによりダ・ヴィンチは世界的な大ヒットとなり、IWCの業績を一気に上昇させたのです。
この1985年モデルのディテールの多くは、現在も継承されています。
デイトリングで稼働するモジュール型のパーペチュアルカレンダー、4桁の年数表示、アラビア数字を入れていることなど、良い物の多くを現行モデルに活用しています。
伝統的で控えめなデザイン
上の写真は2018年現行モデル、ポルトギーゼ・グランド・コンプリケーション IW377602です。前述のダ・ヴィンチと似た外観ですが、ポルトギーゼはIWCで最も歴史が長いコレクション、このポルトギーゼの方がよりIWCのアイデンティティが含まれています。
IWCは公式HPで「精巧なエンジニアリング」、「時代に左右されない個性的なデザインが融合」と、彼等の現行6つあるコレクションを表現しています。
そして従業員にはIWCの基本的な考えが浸透しています。それは『装着できる腕時計』、コンプリケーションウォッチも『腕に装着できる事』であると、かつて【ダ・ヴィンチ】1985年モデルの設計者クルト氏の後継者でもある、IWCムーブメント開発責任者(2009年当時)ステファン・イーネン氏は語っています。
つまり技術者の独りよがり的な時計ではダメで、ユーザー目線の時計づくりが不可欠であると語っています。
精巧なエンジニアリングがあれば、どんな複雑なムーブメントであっても装着できるようになる筈です。そして1985年にデザインのベースがあるダ・ヴィンチやポルトギーゼも全く色褪せない『伝統的なデザイン』で控え目、それらが人気の秘密ではないでしょうか?
従業員にもこのフィロソフィーがしっかりと浸透している事が、良質な腕時計を生む土壌なのでしょう。
後継者を育むドイツ語圏スイス人気質、それを支える取締役会
IWCは自分達がスイス時計業界の孤島である『ドイツ語圏の時計会社』であることを自社HPでも述べています。
そこでもこの地理的な要因が自社哲学に与えた影響は大きいと書いています。
ドイツ語圏であるメリットの一つは、フランス語圏と違い時計メーカーが少なく優秀な時計職人が他社へ引き抜かれる事なく、長きに渡りIWCに在籍できる事です。
そのため、IWCの時計師のキャリアは10年以上を超える者が他社より、多く在籍しています。
時計師達は技術が向上すると、より複雑な時計を扱う会社へ移っていくのが一般的だからです。
しかし、IWCはスポーツモデルからコンプリケーションウォッチまで幅広く時計を作り続け、彼等のキャリアアップをサポートして、結果高い定着率が実現しています。
またIWCは社内に時計学校があります。1968年に開校した歴史ある時計学校では在籍者は少数精鋭の16名が4年間カリキュラムを経て職人と育っていきます。ここでの、若き時計師達がIWCの未来を支えているのです。
伝統的でありながら、新しい技術を取り入れるIWC
Lewis Hamilton At IWC Schaffhausen Boutique London
地味でも無いが派手でも無い、愛用している著名人達も少し控え目な超一流が多いのが特徴です。
アンバサダーであるF1パイロット、ルイスハミルトンもその一人です。
IWCはHPでもアンバサダーを多くは紹介しません。
時計が主役であり、彼等もそんなスポンサーの意向を理解して、承諾している感じがします。
僕がこのブランドの共感できる事は値段が幅広い事です。例えば僕が好きなパイロットウォッチは40万代から買える時計です。
先程のポルトギーゼはおおよそ2400万円と多くの顧客を対象としている事もファンが多い理由でしょう。
IW324008パイロット・ウォッチ・オートマティック36これが2018年8月時点で実勢価格で42万円はお得感があります。
シンプルですが、ちゃんとデイトカレンダーもあるモデルで36ミリのケースは日本人にはぴったりです。
伝統的なデザインでありながら、流行りの濃いブルーの文字盤を採用しています。外観はクラシック、でもモダンカラーを採用している所はさすがIWC、という感じがします。
今後も伝統的で良質なモデルを発表し続けて欲しいです。